薬の名は御酒と聞く。猩々 [絵・画・得]

スキャナーが壊れて今日は途方に暮れています。
最初は時折見せるツンデレかと思ったんですが
もうにっちもさっちもいかないようです。
もう今日はお休みになられるんでしょうか。スキャナーさん・・・買い替えちゃいますよー。
にっちもさっちもといえば
ほんとに生活が困窮してしまったら公園の鯉でもさばいて食べちゃうから
日本人はえらいなぁとベルギーからいらした方がおっしゃってたんですが
究極に困窮していたら、日本で釣っていても
おかしくはないかもです・・・
・・ここでそれを人間らしいという言葉を選ぶのは
なんだか文化を貶めている気がしてちょっと気が咎めますが
鯉を食べても、先人の文化人の名前を知らなくても
文化を作っていくのは人なんじゃないのかなぁとも考えるのです。
でも酒の肴に錦鯉のお造りなんかが出てきたら、とてもじゃないですが。。
今日は唐土の御酒の妖精が出てくるお話です。
「御酒と聞くー。」という謡がとても好きです。
「猩々」
シテ:猩々
ワキ:高風
唐土の揚子江の畔に住んでいる高風という親孝行な青年がいました。
ある夜の夢の中で、揚子の市で酒を売るならば、富貴の身となるというので
その通りにすると、次第に富貴の身となります。
すると、市毎に不思議なことに盃を重ねても顔色の変らない者がくるので
不審に思って名を尋ねると、海中に住む猩々といって去ります。
高風は潯陽の江に行き、猩々を会おうと、月に照らされ菊花の酒をたたえて待っています。
「菊をたたへて夜もすがら。月乃前にも友待つや。」
やがて海中より猩々が現れ、友として逢うことを喜び、酒を酌み交わし、舞を舞います。
「月星は隈もなき。所は潯陽の。江乃うちの酒盛。
猩々舞を舞はうよ。」
心地よくてたまらない、楽であるというのではなく、酒に酔うのともまた違う
そんな感覚は御酒の好きな猩々が舞うからなんじゃないかと思います。
猩々が舞う中之舞を、ミダレという特別な舞いになると「猩々乱」という名前になるそうです。
猩々は高風の心を褒めて、永久に酌めども尽きぬ酒壷を与えて消えます。
「よも尽きじ。萬世までの竹乃葉の酒。
酌めども尽きず。飲めども変わらぬ秋乃世の盃。」
一番最後の詞書は付祝言としても用いられることがあります。
「覚むると思えば泉はそのまま。尽きせぬ宿こそ。めでたけれ。」
一暇の衝動にも似た、ためらいのない幻はいつも、
湧水のようにあふれ出してはまた渇望しているようです。
次へ次へと駆り立て駆り立て、その渇いた支配者によって私は生かされている
という気がしてならないのです。
旧友と呑む酒と同じように、とても美しい夢をもらっているのだと思います。
どうぞ皆さま良い夢を。
2010-06-18 19:42
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